天才の作った地図
2022. 9. 10
今日は世界的にも有名な天才の功績について書いてみようと思います。
その天才とは?
レオナルド・ダ・ヴィンチ
誰もが知るイタリア生まれの超!!天才。
芸術家、建築家、発明家など、彼の職業?肩書き?は一つにとどまる事を知りません。
ちなみに日本では「ダ・ヴィンチ」と呼ばれることが一般的ですが、「ヴィンチ」とは彼の出身地です。
イタリア語の前置詞「ダ(da)」は日本語では「~から」にあたります。
イタリアも昔は日本と同じで庶民には苗字が浸透してなかったんですね~。
なのでイタリア人は彼を「レオナルド」と表現することが多いみたいです。
ちなみのちなみですが、俳優のレオナルド・ディカプリオ、
「ディ(di)」は「~の」と訳される事が一般的で、「DiCaplio」は「カプリ(島)の」と言う意味になります。
彼のルーツがイタリア カプリ島にある事を示していますね~。
ヴィンチ出身のレオナルドに話を戻しますね笑
今回触れる彼の功績は測量、と言うか地図作成です。
そうです。地図まで作ってたんですよ!!!どんだけ多才なん??ってなります。
まずはその地図を見て頂きましょう。
「Imola(イモラ/イーモラ)」と呼ばれる街の地図です。
F1好きな方はご存知かもですが、かつてサンマリノGPが開催されていた「イモラ・サーキット」のある場所です。
アイルトン・セナが亡くなったサーキット・・・と言った方が有名でしょうか。
高速サーキットでオーバーテイクが難しいと言われているサーキットの一つです~。
そんなイモラの地図が作成されたのは1500年頃。
まるで空測したかのような地図ですが、もちろん目視と足を使って描かれたものです。
(ドローンとかまだないからね)
常に北を指す羅針盤の様なものを使用して測量を行っていたそうなのですが。。。
現在の地図と見比べてどうです?中々に正確!!
ダ・ヴィンチはこのイモラを拠点にしていた政治家に軍事技術者として招かれ、地図を作成しました。
地図を制する者は世界を制する・・・は大げさですけど、
やはり【地図】と言うのはそれくらい重要なんですよ~ 😀
ダ・ヴィンチが今の時代に生きていたらどんなだったんでしょうね?
天才や多才やとは知ってましたけど・・・
「地図まで作っとったがな!!!!」
と思ってブログにしてみました笑
イタリアで才能大爆発!!!だったのですが、
ダ・ヴィンチは晩年をイタリアでなはくフランスで過ごしています。
一緒にフランスに持ち込んだ【モナ・リザ】がフランスのルーヴル所蔵なのはそのためです。
イタリアは「返せ~!!」言うてるみたいですけどね 🙁